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執筆者の写真IKEF-Reto:Yas Kawamura

必要な家族の表現・単語を訳さない

更新日:2018年5月12日

今日のポイントは、取り合えず必要な家族の呼び方についてです。 patro, patrino: gepatroj(両性ペアかそれ以上の人数で) knabo, knabino: geknaboj(同上)

patroは子供にとってはpatroですが、奥さんにとってはedzoね。

この感覚は日本語と全く同じ。

子供たちはお父さんお母さんが彼らを呼ぶ時はknabo...ですが、他人に紹介する時はinfano, infanino: geinfanojとなります。でも子供はpatroのことをedzo de mia patrinoとは言いませんよね、普通は。 …むかし、ツービート(って知ってない人も居るかも)の漫才で、息子に向かって

「てめえの母親かなんだかしらねえが、オレの女に何文句言ってんだ」

と言うのがありました^_^。


さて、物を覚える、あるいは簡単な動作や形容詞など含め、単語はできれば当サイトの「訳Sen単語」をご利用ください。訳さなくていいですよ。

できれば「辞書を使って意味を調べない」、これを幾つできるか、沢山できるようにがんばりましょう。 単語を訳してしまうと、一生涯、貴方はエスペラントを話す時にその単語を「訳す」作業をすることになります。大変ですよ。もちろん通訳する場合には適当な日本語に置き換えて行く作業が必要なのですが、その訓練はいつでも出来ますし、してあげます。

私も学習初期に出会った単語など、いまだに「訳を探す」時がありますが、つらいですよ。日常必要な言葉(単語)は、訳は全く必要ないです。もっとも、これまでは(今もか)授業中は「訳さず」分かっていても、それを忘れないためには「絵を描く」とかの努力が必要であったと思います。


punkto fino: Yas-istemo



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